2014年御翼8月号その1

赦しこそ、人間が選ぶべき選択肢― ジャンポルスキー博士

 

 神に赦されるとは、「罪がなかったかのようにして扱って下さる」ということ。「赦す」とは、相手の罪を忘れることではなく、相手との愛の関係が、罪のために切断されることがなくなる状態を言う。その傷は消えることはない。しかし、その赦しによって、二人はもう切り離されないのである。その時、愛による結合は、両者をわかとうとする切断力よりも大きい。従って、キング牧師は、「赦しは、なされた行為を無視することを意味しない。赦しは、新しい出発、新しい始まりに必要な雰囲気を作りだす媒体」だという(『汝の敵を愛せよ』)。
 クリスチャン精神科医ジェラルド・G・ジャンポルスキー博士の著書は30カ国語に翻訳され、そのうち10冊が和訳されている。それらの本のテーマは一貫して「赦し」である。人の生きる目的は、内なる安らぎを得ることであり、それを実現する道は、赦しなのだ。キリスト教において赦しはいつも中心のテーマである。キリストの恵みとは、即ち赦しであり、人は神に赦され、互いに赦し合った時に、初めて平安を得る。一方エゴは、人生の目的を裁くこと、攻撃すること、争うこと、ゆるさないことだという。しかし私たち人間は、自由意志を用いて、相手を赦すと決めることができる。互いに赦し合い、受け入れ、神の愛に満たされて平安に生きること、これが人間らしい生活なのだ。
 なぜ私たちは無条件で赦すのか。それは、主イエスが十字架上でこう祈られたからである。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23・34)。主イエスは、敵が謝りに来るのを待つことなく、相手を先に赦された。これが私たちの平安への道であり、神の御導きを得る近道である。
 
 ジャンポルスキー博士は、難病の子どもや家族へのホスピス活動を無料で行なうヒーリング・センターを主催しており、その活動は、日本を含む世界29カ国に広がっている。その活動として、世界中で闘病中の子どもたちが互いに励まし合えるようにと、アメリカ内外との文通・電話ネットワークを開始した。その結果、電話代の請求書は山積みとなり、博士たちは莫大なお金を必要としていた。ある日、先生はこの問題について祈っていると、突然、パシフィック・ベルという電話会社の社長に財政援助をお願いしてみるというアイディアが浮かんだ。しかし、パシフィック・ベルの電話はしょっちゅう故障し、博士はたびたび電話会社から被害を被っていた。電話会社に対して怒りの気持ちがある限り、援助をお願いする電話などかけられないと感じた。そこでジャンポルスキー博士は、次の二週間、「赦す」ということを積極的に実践し、自分の中にある攻撃精神を捨てることに専念してみた。すると驚いたことに、自分と、この電話会社で働く人々との間に、愛と一体感を感じるまでになった。しかし何度、電話会社の社長に電話してみても、いつも「社長は只今大変に忙しく、お話しすることができません」という返事だった。先生は、まだ相手を赦すという気持ちが足りないと感じ、更に一層赦す決意をした。その後、5回目の電話で、意外なことに、社長自身が電話口に出た。博士がセンターの実情を話し、電話をかけた理由を説明すると、社長は広報担当に回さず、自ら会う約束をしてくれた。社長は博士の訪問を心から歓迎し、パシフィック・ベル社は見積りを始め、六週間後には博士のセンターに3千ドル(30万円)の補助金がおりた。博士はこう言う。「この奇跡は、私が自分の中にある攻撃的な考えを捨てることにより、既にあった『愛』だけを感じようと決めたからこそ実現したのだと思えるのです」と。
 素晴らしい結婚生活を送りたければ、まず相手を赦し、受け入れよう。惨めな結婚生活、人生を送りたければ、相手を赦さないことである。赦すか赦さないかは、各自の自由意志をもって決められることである。そして、赦しの無い結婚など考えられない。あらゆる人間関係は、赦しを実践するためにある。

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